
病んでいるのは本人
「編集者という病」というタイトルは違う。「見城徹という病」である。
このような人が会社を作り、人を雇い、上場させてはいけない。いろいろと迷惑をかける。
「自分は自殺すると思う。」というのなら、一編集者として個人の人生を全うすべきであった。
編集者という人種には何人も会ったが、皆常識人であり、著者の人間性は特異である。
また彼の定義する「表現者」は、表現者の一部に当てはまるにすぎない。
しかし、類は友を呼ぶで病んだもの同士が出会うのである。当然作品も病の臭いがする。
この男との接点がなかったなら、尾崎豊にもまた別の人生があったと思う。
著者と全く違う手法でよい本を作っている編集者は大勢いるのだ。
「これほどの努力を他人は運という。」と言い放って内心ほくそ笑んでいるようだが、誰も真似したいとは思っていない。本は売れても魂は穢れていく。何かに頼りたくもなるだろう。
石原慎太郎と五木寛之がこの人の看板のようだが、二流の作家との付き合いをいつまでも誇れるものだろうか。
また、著者が喧伝するミリオンセラーは怪しい。「ダディ」に関してはこんな話がある。
「ワイドショーものはテレビで流れた当日が勝負である。テレビで見た人がその足で本屋に来て、「○○の本、ある?」となるのだ。そしてそのブームはきわめて冷めやすい。この客層は、日常本屋に通っている人々とは明らかに異なる客層なのだ。
郷ひろみの「ダディ」の場合では、二週間で五十万部売った。そして、「ダディ、ある?」と店頭で聞かれた期間が二週間である。その後に入った分は積んであっても見向きもされず、あえなく返品となったのである。ワイドショーはもう次のネタに移っていってしまったのだ。」
上京後、学生時代に過激派で火炎瓶を投げていたころから、精神は止まったままのようだ。
ウナギイヌ 花の都で タコ踊り
男・見城徹!
編集者としての単なる成功談ではない。
丸裸の「見城徹」の姿が見える1冊。
作家やミュージシャンと交流する彼には、謙遜もお世辞も全くみられない。
自分が良いと思うものを信じ、相手の懐の中に飛び込んでいく。
彼の根本には、学生運動に心酔した学生時代、身体的コンプレックスを打破するべくジムに通いつめるストイックさが見え隠れする。
テルアビブの空港で銃を乱射し、「地獄へ行っても革命をやるんだ」と自らの足元に爆弾を投げて自爆した奥平剛士や、「美」にこだわり続け、市谷の自衛隊で割腹自殺を遂げた三島由紀夫の思想につながる部分を垣間見て、今後の動向から目が離せない人物と思った。
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