表現者という異端者たちと切り結ぶ、ひりつくような日々
新興出版社を急成長させてきた見城徹氏の発言や対談をまとめ、自らを「異端者」と呼ぶ濃厚な生き方をさらした一書です。
見城氏によると、幻冬舎の本は売れるべくして売れている。売れる本を作る秘訣はいくつもありますが、特に重要なのは「ふつう」ではない本の著者一人ひとりと真剣に向きあい、時には切りむすんで作品を生み出すことです。
著者との親しさを示す対談やエピソードが本書にいくつも登場します。一つだけ小説家の藤田宜永との対談を紹介します。
同年生まれという気安さで、この対談ではタメ口で「お前さ……」「よくもまあ、あれだけ女と遊べたね」、「とにかくお坊ちゃんだったんだよ、君は」等と、けんか腰にとられかねないもの言いをしています。
藤田氏の若き日のコンプレックスと女性関係をさんざん語らせたあと、話題は小池真理子に移ります。
藤田氏と小池氏は、夫婦で直木賞を受賞したことで知られていますが、小池真理子の編集者だった見城氏は、「今の夫に言うことじゃないけど」と言いながら、小池と見城が男女の関係になってもおかしくなかったことを明かします。
挑発しながら藤田氏と小池氏のなれそめを言わせたあと、
「ふざけるなって話だ(笑)。俺の前で言うなよ」
と屈折した祝福の言葉をささげました。
ひとつ間違えば作家と絶交されてしまうかもしれない、ぎりぎりの会話。
見事です。
売上や儲けを誇っているところは、銭ゲバ的雰囲気をかもし出していますが、それでも、この毒の強い一冊に、最後まで引き込まれてしまいました。
ニーチェの言葉を引いて、見城氏は次のようにうそぶきます。
「昼の明るさに夜の闇の深さがわかるものか」と僕は独りごちる。
闇の深さがわかっている人はもちろん、少しは闇の深さを覗いて見たい「昼の明るさ」派の方にもお勧め。
ただし、あまりのめり込まないように。
異端者ではあるが・・・
見城氏が幼少時代から感じていたことや他の表現者達との対話が対談の形で素直に語られ、題名のとおり氏が異端であることは十分に感じられる。一人の人間の話として、期待を裏切らずに面白い。
だがこの本から本当に感じたのは、氏の世界や人間に対する認識は異端でありながらも、編集者としての仕事に対する努力が他人を遥かに凌駕しており、それを礎として現在が手に入れられているということだ。
本人は自分に元々宿っている異端を発現して生きていて、そして現在があるという形で書いているが、自分にはそれだけとは思えなかった。氏の常人とは思えない努力もまた異端の源泉であり、別のものとして語られがちな才能と努力の両面がうまく滲みでた作品であった。
ただ、過去の対談の寄せ集めの面があり、全く同じ話が何度も出てくるのは少し残念。星4つ。
背中で語る。
私は見城徹という人を知らない。
なぜこの本を買ったのか?
それは一番初めのページをめくるとある内表紙の白黒写真に写る彼の背中が何かを私に語りかけていたからだ。ただそれだけの理由だった。本屋の立読みでこの本を何げに手にとりこの写真をみた。それが切っ掛け。
私に異端であることの勇気と緊張感を与えてくれた本だ。
仕事≒セックス。AV男優
異端であるということに自負を持ちながらもそんな姿に嫌悪感を持ち、表現者を自称しながらも表現者の媒介である編集者という立場に居心地の悪さを感じながら、結局はそれも全て含めて、異端である、ということに自負を持つ。それを表現が保障する。
とにかくこのおっちゃんは熱いのだ。体がついて来てるとは思えないけど、言葉は熱い。成功者のサクセスストーリーでは無く、このおっちゃんが思う事を本にまとめましたって感じの本。自身を異端だと感じる死ぬのが怖くて仕方ない人、このおっちゃんに感染するかも。
このおっちゃんほんっとに自分だけで精一杯の人間なのだなってよーくわかる。でもボクはこのおっちゃんに人生を保障された。
出版業界を今後も牽引していこうとする強い意思が感じ取られる
「編集者という病い」に続く、幻冬舎見城徹社長の自伝だ。前作を読む限り第2弾というのはおそらく出ないだろうと思っていたので嬉しい思いで手にした。また、前作では2,3年で仕事を辞めるようなコメントがあったが、今作ではまだまだやり遂げたいと思っている仕事を書き連ね、出版業界を今後も牽引していこうとする強い意思が感じ取られる。
本書の中で幻冬舎立ち上げの際の思いが綴られているが、その中で、立ち上げの際に考えていたという「不可能だ、無理だ、無謀だと言われることを、圧倒的な努力で可能にしたとき、結果というものは出る」という言葉があった。帯にも「すべての創造は一人の圧倒的な熱狂から始まる」という熱い信念が書かれているが、見城社長のこの想いなしには幻冬舎の今の力強いブランドはできなかったろうと思う。とても感銘を受けました。
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