映画監督 商品
映画監督とは映画の映像作成を統括する責任者で、ディレクターとも呼びます。映画監督の仕事は個人によって違い、脚本を手がけたり、プロデューサーが行うべき仕事をしたりする映画監督も存在します。世界的に有名な映画監督は多く存在します。例えば、「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス、「宇宙戦争」のスティーブン・スピルバーグなどです。また日本人である黒澤明監督は、現在活躍している若手映画監督に影響を与えただけでなく、海外の映画にも多くの影響をもたらしました。外国、例えばハリウッドの映画監督は儲かるというイメージがありますが、日本においては映画監督業だけではそこまで収入は無いとされています。これは最近「ドロップ」の映画監督を務めたお笑い芸人の品川ヒロシもそう述べています。

最高の映画本です

 今となっては信じられないことだが、我が国でヒッチコックが正当に評価され始めたのは彼が亡くなってから、つまり80年代に入ってからと記憶している。それまでの評価は「技術的には良いセンスを持っているが、作品自体は思想性を欠いていて軽くてとるに足らない」というのが大勢を占めていた。その証拠に、我が国で最も権威がある(?)映画誌であるキネマ旬報が毎年度末に発表する外国映画ベスト10にランクインしたことのあるヒッチコック作品は、私の記憶が確かであれば「レベッカ」、「断崖」そして「鳥」の3作のみである。これはわが国の映画評論家と呼ばれる人たちの大部分が、いかに愚劣な存在であるかを証明する雄弁な証拠でもあるが、アメリカでも事情は同じである。なんとヒッチコックはただの一度もアカデミー監督賞を受賞したことがないのだ!!!

 80年代初頭に我が国で起こった再評価のキッカケは、東京や名古屋の大都市で50年代の絢爛たる代表作が大挙再上映されたのと(当時私も貪るやうに観にいきました)、本書(「定本」でない最初の邦訳は80年代に出版されている)によるところが大きいと思う。

 監督になる前は評論家でもあったトリュフォーはもちろん熱烈なヒッチコックファンでもあった。本書における彼の凄みは、この本が製作された60年代後半までのヒッチコック作品をすべて観ているだけではなくて、細かい部分まで詳細に記憶していることである。まだ市販のヴィデオもない時代にである。そしてヒッチコックを心の底から尊敬しているし、彼の各作品に対する質問や見解は常に的を得ていて、興味津津のものばかりである。本書に永遠の価値を与えているのはもちろんヒッチコック作品の偉大さであるが、それを再認識させるトリュフォーの引き出しかたが絶妙かつ完璧なのだ。

 たとえば名作「海外特派員」を語り合うところで素晴らしいやりとりがある。飛行艇が海に墜落して操縦席に海水が飛び込んでくる有名なラストシーンをどうやって撮影したか?ヒッチコックが逆にトリュフォーに質問すると、なんとトリュフォーは、その複雑な撮影方法を即座に正しくスラスラと答えてしまうのだ!

 今まで多くのヒッチコック本を読んだが、本書が間違いなくNO.1。これを前にしたら、他のヒッチコック本は恥ずかしくて消えていなくなるしかないと思う。偉大なる二つの魂の奇跡の邂逅。すべての映画ファンは必読!!

 

「よいしょ本」

1967年に出版された、「よいしょ本」です。
ヒッチコックは、最後の傑作『鳥』を撮り上げたころです。自分の作品を研究し尽くした、若き才能たち(スピルバーグetc)に追い上げられ、活躍の場が徐々に狭まっていく前の、ひとときです。

ピークをすぎた“天才”が、
敵に塩をおくることがあるのか。
ありえませんッ!!
自分の手のうちを明かすには、もう歳をとりすぎています。のらりくらり、質問をかわして、本質は語りません。

「よいしょ本」です。
ファンには楽しめる本ですが、
“創り手”には参考になりません。
ファンのみなさん、ごめんなさい。
トリュフォー先生の『黒衣の花嫁』はオススメです。

複雑な影

 大きくて高い本だが 実に面白い本だ。

 ヒッチコックというと ミステリーの巨匠と言われるかもしれない。確かに彼の映画でミステリーや犯罪が出てこないものは まず無い。従い 万人が見て面白いという点は言えると思う。その意味ではヒッチコック映画は娯楽映画である。

 但し 単なる娯楽映画に終わっていない点が ヒッチコックなのだ。二点あげたい。

 まず一点目。映画の技術をベースとした きわめて前衛的な映像作家であったという点だ。
「ロープ」の長廻し、「鳥」の音響効果、「裏窓」の舞台設定、「ハリーの災難」のブラックユーモア、「フレンジー」の殺人場面等 独創的な映画要素が盛り込まれている。これがあるからこそ 結果が分かっていても 幾度も繰り返し見てしまうものがある。トリュフォーのような ヌーベルバーグの巨匠がインタヴューをしたくなるわけだ。

 二点目。
 ヒッチコックの映画の底に流れる奇妙な暗さが特殊な味付けをつけている。たとえば 彼の映画には 基本的にはマザーコンプレックスが通奏低音としてある。
 「サイコ」は言うまでもないが 「北北西に進路を取れ」「鳥」「見知らぬ乗客」等には必ず マザーコンプレックスが出てきている。
 そもそもヒッチコック自身が 幾分 影のある人物であり それなりに屈折した人であった点は 有名らしい。「太った ウィットの効いた人物」という雰囲気は 彼なりの演出であり相当に複雑な人だったらしい。そんな彼自身の「影」が 彼の作品にも染みついている気がしてならないのだ。

 
 ヒッチコックは 多くの映像作家にとって「先生」だったという。この本を読んだのも20年前だが その印象はいまでも強く残っている。
 

技術、手術、映画術

10年前の1997年。古書店で何度か糊口をしのいだあとの何刷目かの何冊目か、幸い早期に発見された胃癌の切除のための入院中、当時はまだ内視鏡技術が現在のようでなく、患者を適度に弱らせるための手術前の6日間に読み直した。観ていた作品は反芻し、観ていない作品はイメージを馳せながら。思い起すとそこには夥しい死とその方法が表現されていたのに、とても慰められた。知り合いのなかには、当時ベストセラーだった松本人志の「遺言」をお見舞いに持って来たお馬鹿もいたが(読まずに捨てた)。2度と映画を観ることが出来なくなるかも知れないと、そのとき、映画の塊りたるヒッチコック/トリュフォー/山田宏一氏/蓮實重彦氏の更に塊りであるこの本の純度が、言いようもない不安を薙いでくれた。そして、いま私の部屋の本棚には「映画術―ヒッチコック・トリュフォー」の定本がある。今朝もある。

読み物としてもおもしろい

「映画術」というタイトルに怖気づいてしまう人もいるかもしれませんが、そんなに堅苦しい本ではありません。
映画のことしか頭にないシネフィル然としたトリュフォーと、冗談好きですぐに話がそれるヒッチコックの会話を読むだけでも楽しめます。
映画ファン必読なのは言うまでもないとして、「run for cover (確実な地点に戻ってやり直せ)」「現実とは創るものだ」などの言葉は映画関係者以外の人でも人生訓・処世訓として使えそうです。
トリュフォーの方もさすが元批評家だけあって質問の仕方がうまく、核心を突いていますが、ヒッチコックはどんな質問にも「そう、その通り」と答えて本質的な部分をはぐらかしているようにも見えます。
やはり芸術家たるもの、自分の作品を長々と解説して解釈の幅を狭めるようなことはしたくないのでしょうね。